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年々歳々。

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山田山庵 赤茶碗

山田山庵 赤茶碗_b0181305_1853565.jpg


恭しく出された碗。

ふわりと白い
絹の布団に包まれている。
箱には昭和四三年九月と年記がある。

淡い紅。
これまで見た中では、
やや背が高く大ぶりな印象だ。

故に見込みは深い。

銘 芙蓉峯
つまり富士山をいう。

また芙蓉は、
蓮の美称でもある。

名のとおり花を思わせ、
かつ山のようでもある


山庵は生涯一度だけ
名古屋にて個展を行なっている。

茶碗造りに目覚めたのは、この地であった。

帝都以外では唯一であり、
この地で作品を披露するというのは
己にとって特別であったと想像する。


後日談であるが
茶碗の前所有者は
以前より懇意にして頂いている方
この個展を企画した人物でもあった。
 
この茶碗は、その個展で割愛を乞うたという。
一箇所ある直しは元よりあり
嫁入りが決まってからが大変であったという。
 
箱や紐などの"設え"から始まり、
プロのカメラマンに依頼して
あらゆる角度から撮影がなされたという。
 
1つ1つの作品に対する愛着、
むしろ執念を物語るエピソードともいえよう
 
 
1つの碗に込められた思いは
知る由もなく、果てしない。
by otenkidaifuku | 2012-09-12 18:52 | | Comments(2)
Commented by otenkidaifuku at 2014-05-13 19:53
この茶碗の旧蔵者は、名古屋に於ける山田山庵展を企画された方である。当時、偶然にも東京三越での山庵の茶碗と出会い、直談判懇願の末に成就したとの事であった。訃報をきき、在りし日を楽しげに語る故人を偲びつつ、記憶として此処に残す。
Commented by otenkidaifuku at 2018-03-10 10:16
鋭い御指摘有難う御座います。確かに関係者も少なくなり私が聞いた事を記すことも大切なのかも知れません。心苦しいのですが、1つ記したいと思います。この企画は三越展の間から遠路度重なる直談判の末に実現したそうです。年数の隔たりを見て頂くと、故人の尽力が並みでなかった事が伺い知れます。昭和43年(1968)は高度成長期の真っ只中、出来事も戦後日本の激動を代表することばかりです。当時は百貨店での展示という都合上、値段表記は必須でした。その時に購入された赤楽の領収書には三拾萬とありGDP貨幣換算(2016基準)787,918となります。当時一般に、美術品を買うような情勢ではなく、現代作家の茶碗を買うという事、まして実業家とはいえ無名の一般人ともいえる造り手が、どのようなが存在だったかは想像を超えているように思います。当時を知る方より感覚的に有名大家ですら1/3、知られた作家さんでも1/10だったと伺いました。加えて地方であるにも関わらず、それでも数人ですが求めた方がおられたそうです。しかし山庵を知る方曰く、1つの茶碗を造るのに当時の車1台分は軽く投じていたとの事でした。蛇足ですが売り上げは、然るべきところに寄付されたとの事です。
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