国内では、茶碗作品を購入するとき、茶道具や陶磁器を扱う業者さんから求めるのが一般的のようです。しかし山田山庵の作品は現代アートを主軸にされ「茶碗は扱わない」ギャラリストの方が取り扱い、海外へ納まる事もあるようです。それは何故なのでしょうか。その理由を尋ね、私なりに納得できた範囲で、この場に残したいと思います。
西洋におけるART作品の評価基準の1つに(乱暴に要約することになりますが)誰も成し得なかった事を初めて表現し発表を成したアーティストや作品であること、があります。例えば、マルセル・デュシャン「泉」などが挙げられますが、その作品背景には高い知性、哲学、歴史的価値など多くの要素が合致されています。一方、海外で知られている日本美術に「Rinpa school:琳派 」があり、絵画や工芸など多岐にわたって研究調査が進められ、世界的な評価が高まっています。特に琳派では、酒井抱一や伊藤若冲などにみられるAmateurism、すなわち高度な知識技術が織り込まれた素人芸術があるといわれ、さらに世代を超えて受け継がれた系譜があり、多彩な日本美術の中で特異性として挙げられることもあります。その中でとりわけ人気のある「Kouetsu Style」を取り上げたとき、茶碗の系譜は他の分野に比べて極端に作品が少ないといわれています。これまで「Kouetsu Style」茶碗の造り手には、一元、左入をはじめとるする楽家歴代が挙げられ、近代では益田鈍翁、森川如春庵などの数寄者、川喜田半泥子を挙げる方もおられるでしょう。しかし、半泥子は轆轤の妙手であったりと、その多くは納得しづらい状況にあります。彼らによる「Kouetsu Style」の茶碗はいずれも単発的な作品が残されているに過ぎないようです。工芸作品の中で茶碗の製作は特殊な知識技術だけでなく、窯などの設備が必要となります。近代では窯業技術の発展にともない個人的な作陶が身近になりましたが、光悦以降着手されることは殆どありませんでした。その中で常軌を逸した「余技」を尽くし、新たな「Kouetsu Style」の模索を試み挑み続けた山田山庵は、私淑による断続的な継承、近代琳派の担い手といえるのかも知れません。すなわち光悦以降、琳派「Kouetsu Style:茶碗」の系譜に挙げられる初めての最初の人物かも知れません。この点において山庵は「Kouetsu Style」の茶碗に主軸を定め、財界人でありながら1959年から発表し続け、時代の荒波に余技としての立場で孤軍奮闘する姿が垣間見えます。その結果、初個展、壺中居での芳名録には林屋晴三、加藤唐九郎、荒川豊蔵、千宗室(汎叟宗室鵬雲斎)、堀口捨巳、加藤土師萌、藤本能道、中村道年、田村耕一、三浦小平二、細川護貞、磯野風船子、川上宗雪、小山冨士夫、樋口民陶、中村研一、中村正義、郷倉千靭、直木友次良、武者小路実篤、井上昇三、谷川徹三、田山方南、村瀬治兵衛、岡田宗叡、結城康三、広田不狐斎、瀬津伊之助、黒田領治、反町十郎など多岐にわたる分野の著名人が訪れています。その様子は佐々木三味(陶説)、堀口捨巳(淡交)や加藤土師萌(淡交)が雑誌へ寄稿され、話題となった当時の活気を今に伝えます。同じ頃、国内ではCeramic Artとして八木一夫たち前衛陶芸の挑戦が続いており、山庵も茶湯における小間や広間などの空間、使われる場面や時季だけでなく、展示鑑賞されることも踏まえ、あらゆる状況のために試行錯誤していました。その足跡は個展資料だけでなく「現代の陶芸」 第7巻 1976(講談社)「現代日本の陶芸」第10巻 1983(講談社)など書籍資料においても辿ることが出来ます。このように生前に自ら図録や作品集を制作し、没後作品のほとんどが家族により管理され、回顧展が催される度に図録が制作されたため、レゾネのように作品を辿る事が出来るのも他にない存在といえるでしょう。"陶芸"の範疇を超えてARTとしての鑑賞や、生活の中で作品自体が使われるという行動行為の狭間で「ゆらぎ」を発揮する先見的可能性を秘めている事も魅力のひとつかも知れません。このように作品の製作発表された時期が「日本の前衛美術」黎明期である1950-1970年代であることも興味深く、世界からみた「JAPAN ART」として、今後その時代背景を踏まえて検証されることでしょう。山庵の茶碗は日本独自の伝燈系譜を踏襲しつつ、現代における新たな試みを最初に成し、その後は多くの類似作品があとを追い人気を博し今日に至ります。
最後に、琳派の系譜をみたとき、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一と、誰が最も優れているかと論ずるのではなく、新たな展開に挑み創り上げられた作品が自ずから私達へ問いかけるのは、揺るぎない真実ではないでしょうか。日本のパリ協定における試みや産業医療技術にはじまり、日本の文化や芸術を広く紹介する際には自然や食文化、能や歌舞伎などが挙げられますが、茶湯についても欠くことは出来ません。また彫刻、特にセラミックアートの中で「CHA-WAN」を器として使うことだけでなく、ART作品として楽しむ方もおられることでしょう。近年、山庵の作品が散逸し多くの方へ納まりましたが、現存数の少なさ故か市場に出ることは再び稀となりました。その状況下で海外へ作品が納まり「流出する」と仰る方もみえますが、私は作品を通じて共鳴した誰かが「日本」へ眼を向け、新たな展開を生むきっかけとなる事を望み夢みています。
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