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年々歳々。

hareotenki.exblog.jp

花相似。

ブログを始めて約九年
現在の状況は予想以上となりました。

是迄何かの役に立てたとは思えませんが、
抹消するには侘しいものとなっていました。

下記始めた際に没とした拙文へ筆を添え
新たな展開へ期待したいと思います




異国で暮らしていると
日本の文化について尋ねられる事がある。
一方で、そのような経験をした日本人から
どう説明したら良いのか解らないと尋ねられる事もある。

日本の文化は
自然と共に生きる
日常生活の内に
深く根ざしたものであり
西洋の概念である「芸術」
とは相容れないものがある


ある晩秋、
とある友人より
短期間の滞在となるが
日本の文化思考を体験できるものは何かと尋ねられた。
また、あなたが勧める著書はあるかと尋ねられた。

そこで私は彼に予定をたずね
或る本を手渡し、茶事の手配をした。


クロード・レヴィ=ストロース
「野生の思考」「月の裏側」

茶の湯は
市中の山居にありながら自然へ身を委ね
湯相や気配、静寂の中で時と互いを察し
“無言”の構造言語でコミュニケーションをとる。
さらに神道、仏教や儒教その他、多彩な思考を取り入れている。

衣。食。住。
更紗、金平糖、李朝の道具など
諸外国、隣国の異文化を敬い取り入れた設え
材を寄せた数奇屋の茶室、呼び継ぎの茶碗、
庭の樹々、飛び石は無意識の呼吸を整える

このように
“未開社会の特徴的な思考”
ブリコラージュを随所に観る事ができる。

さらに懐石料理では
科学的思考の経験を活かしつつ
ブリコラージュにより綴られ供される。

整理された料理の盛付けからディヴィジョニズム
茶事に携わる人達からはポイエーシス
その他、随処に「野生の思考」をみる事ができる。

懐石の中に“箸洗い”がある
ひとくち目、炊きたての米から始まり
抑揚の妙味に舌鼓を打ち満ち足りた頃
味の起伏をこえて谷底となる
無味無色に近い吸物は
滋味深く
一息、心を鎮める
 
迎えた茶の一服
玄々と深まる静寂の“間”一刻に
一期一会、今この一瞬
無事への感謝の念に堪えない。

私達は台風、疫病、地震や水害など絶えず不如意を強いられる。自然を畏れ忌み嫌うが、時に敬い感謝する。また古来より絹、金属精錬、陶磁器など、近代では産業技術を異国から取り入れ世に還元してきた。この文化は自然だけでなく異文化をも敬い、受け入れ、変化し続けてきた。極東の”未開社会の文化”は生まれると共に廃れ、一方で新たな技術や文化が芽吹き、燈を伝えてきた。”現在”を占め最先端を自負する技術は、実態がなく”呪術的”である。「野生の思考」と出逢うことは、自己の根底に眠る"普遍性"と再会する"未来への鍵"となるかも知れない。



自然と人間が気脈を通わせた里山を想いつつ
甦生された”未来”を見届けたいと、今は願う。





              






Claude Lévi-Strauss(1908 - 2009)
"Aujourd’hui encore, le visiteur étranger admire cet empressement de chacun à bien remplir son office, cette bonne volonté allègre qui, comparés au climat social et moral des pays dont il vient, lui semblent des vertus capitales du peuple japonais. Puisse celui-ci maintenir longtemps ce précieux équilibre entre traditions du passé et innovations du présent ; pas seulement pour son bien propre, car l’humanité entière y trouve un exemple à méditer." (L'Autre face de la lune: Écrits sur le Japon)

クロード・レヴィ=ストロース
"今日でもなお、日本を訪れる外国人は、各自が自分の努めをよく果たそうとする熱意、快活な善意が、その外来者の自国の社会的精神的風土と比べて、日本の人々の大きな長所だと感じるのです。日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けられるよう願わずにはいられません。それは日本人自身のためだけに、ではありません。人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです。"
「月の裏側 -日本文化への視角-』(川田順造:訳)



 



             
              
年々歳々花相似。
歳々年々人不同。
    劉希夷




              
              
              

# by otenkidaifuku | 2018-02-18 12:39 | | Comments(1)

"Yamada Sanan" 海外へ

 国内では、茶碗作品を購入するとき、茶道具や陶磁器を扱う業者さんから求めるのが一般的のようです。しかし山田山庵の作品は現代アートを主軸にされ「茶碗は扱わない」ギャラリストの方が取り扱い、海外へ納まる事もあるようです。それは何故なのでしょうか。その理由を尋ね、私なりに納得できた範囲で、この場に残したいと思います。 

 西洋におけるART作品の評価基準の1つに(乱暴に要約することになりますが)誰も成し得なかった事を初めて表現し発表を成したアーティストや作品であること、があります。例えば、マルセル・デュシャン「泉」などが挙げられますが、その作品背景には高い知性、哲学、歴史的価値など多くの要素が合致されています。一方、海外で知られている日本美術に「Rinpa school:琳派 」があり、絵画や工芸など多岐にわたって研究調査が進められ、世界的な評価が高まっています。特に琳派では、酒井抱一や伊藤若冲などにみられるAmateurism、すなわち高度な知識技術が織り込まれた素人芸術があるといわれ、さらに世代を超えて受け継がれた系譜があり、多彩な日本美術の中で特異性として挙げられることもあります。その中でとりわけ人気のある「Kouetsu Style」を取り上げたとき、茶碗の系譜は他の分野に比べて極端に作品が少ないといわれています。これまで「Kouetsu Style」茶碗の造り手には、一元、左入をはじめとるする楽家歴代が挙げられ、近代では益田鈍翁、森川如春庵などの数寄者、川喜田半泥子を挙げる方もおられるでしょう。しかし、半泥子は轆轤の妙手であったりと、その多くは納得しづらい状況にあります。彼らによる「Kouetsu Style」の茶碗はいずれも単発的な作品が残されているに過ぎないようです。工芸作品の中で茶碗の製作は特殊な知識技術だけでなく、窯などの設備が必要となります。近代では窯業技術の発展にともない個人的な作陶が身近になりましたが、光悦以降着手されることは殆どありませんでした。その中で常軌を逸した「余技」を尽くし、新たな「Kouetsu Style」の模索を試み挑み続けた山田山庵は、私淑による断続的な継承、近代琳派の担い手といえるのかも知れません。すなわち光悦以降、琳派「Kouetsu Style:茶碗」の系譜に挙げられる初めての最初の人物かも知れません。この点において山庵は「Kouetsu Style」の茶碗に主軸を定め、財界人でありながら1959年から発表し続け、時代の荒波に余技としての立場で孤軍奮闘する姿が垣間見えます。その結果、初個展、壺中居での芳名録には林屋晴三、加藤唐九郎、荒川豊蔵、千宗室(汎叟宗室鵬雲斎)、堀口捨巳、加藤土師萌、藤本能道、中村道年、田村耕一、三浦小平二、細川護貞、磯野風船子、川上宗雪、小山冨士夫、樋口民陶、中村研一、中村正義、郷倉千靭、直木友次良、武者小路実篤、井上昇三、谷川徹三、田山方南、村瀬治兵衛、岡田宗叡、結城康三、広田不狐斎、瀬津伊之助、黒田領治、反町十郎など多岐にわたる分野の著名人が訪れています。その様子は佐々木三味(陶説)、堀口捨巳(淡交)や加藤土師萌(淡交)が雑誌へ寄稿され、話題となった当時の活気を今に伝えます。同じ頃、国内ではCeramic Artとして八木一夫たち前衛陶芸の挑戦が続いており、山庵も茶湯における小間や広間などの空間、使われる場面や時季だけでなく、展示鑑賞されることも踏まえ、あらゆる状況のために試行錯誤していました。その足跡は個展資料だけでなく「現代の陶芸」 第7巻 1976(講談社)「現代日本の陶芸」第10巻 1983(講談社)など書籍資料においても辿ることが出来ます。このように生前に自ら図録や作品集を制作し、没後作品のほとんどが家族により管理され、回顧展が催される度に図録が制作されたため、レゾネのように作品を辿る事が出来るのも他にない存在といえるでしょう。"陶芸"の範疇を超えてARTとしての鑑賞や、生活の中で作品自体が使われるという行動行為の狭間で「ゆらぎ」を発揮する先見的可能性を秘めている事も魅力のひとつかも知れません。このように作品の製作発表された時期が「日本の前衛美術」黎明期である1950-1970年代であることも興味深く、世界からみた「JAPAN ART」として、今後その時代背景を踏まえて検証されることでしょう。山庵の茶碗は日本独自の伝燈系譜を踏襲しつつ、現代における新たな試みを最初に成し、その後は多くの類似作品があとを追い人気を博し今日に至ります。

 最後に、琳派の系譜をみたとき、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一と、誰が最も優れているかと論ずるのではなく、新たな展開に挑み創り上げられた作品が自ずから私達へ問いかけるのは、揺るぎない真実ではないでしょうか。日本のパリ協定における試みや産業医療技術にはじまり、日本の文化や芸術を広く紹介する際には自然や食文化、能や歌舞伎などが挙げられますが、茶湯についても欠くことは出来ません。また彫刻、特にセラミックアートの中で「CHA-WAN」を器として使うことだけでなく、ART作品として楽しむ方もおられることでしょう。近年、山庵の作品が散逸し多くの方へ納まりましたが、現存数の少なさ故か市場に出ることは再び稀となりました。その状況下で海外へ作品が納まり「流出する」と仰る方もみえますが、私は作品を通じて共鳴した誰かが「日本」へ眼を向け、新たな展開を生むきっかけとなる事を望み夢みています。


# by otenkidaifuku | 2018-01-22 19:03 | | Comments(0)

ご案内〜山田山庵に関する催し〜

この秋、山田山庵に関する展覧会が催されます。
同好の皆様より御連絡頂き、この場をかりて厚く御礼申し上げます

 
これまで数度に渡り
山田山庵の作品が市場に出回る事があり 
潮汐の如く、静かに去ってゆきました。
 
今季のように一堂に会する機会は
二度と訪れないかも知れません
 

・御茶道具 眞泉堂
「山田山庵の眼と手 楽 志野 唐津 高麗 」
2017年10月12日(木 )から17日(月) 五日間
〒167-0042
東京都杉並区西荻北3-8-11 
http://blog.shinsen-do.com/


・2017 東美アートフェア
2017年10月13日(金)~10月15日(日)
東京美術倶楽部 東美ミュージアム
〒105-0004
東京都港区新橋6-19-15
しぶや黒田陶苑 赤楽茶碗 銘「登り龍」
http://www.toobi.co.jp/artfair


・しぶや黒田陶苑
「山田山庵 楽茶碗展 ‐自撰を選んで‐」
2017年10月20日(金)~10月24日(火)
Exhibition of Yamada Sanan
October 20 to October 24, 2017
http://www.kurodatoen.co.jp/
しぶや黒田陶苑 Blog「陶心」も是非ご覧下さい


・黒田陶苑 京橋店『魯卿あん』 
10月30日(月)~11月11日(土) ※11月3日・5日定休
〒104-0031 中央区京橋2-9-9
ASビルディング1F
営業時間:11:00~18:00

 
 


「山田山庵の次第について」
前項「山田山庵に関して」へ追記しました


  
 
 

移ろう刻を経て
名残り惜しく
枯れススキの舞い散る綿毛が
ひとつでも同好の元へ届きますように


 
「集散は常規なり 願わくば同好に頒たん」
              平瀬露香
 

  


# by otenkidaifuku | 2017-09-27 03:34 | | Comments(12)

茶会での取り合わせ、会記について

これまで幾人かの方より
下記に類するお尋ねがありました。

「山田山庵の茶碗をどのように用いたら良いのか」

作品を手に入れたので席中で使いたい、
会記などを見たことがないでしょうか等...
私個人としては作品を使って頂けることの朗報に
心底嬉しく思っておりました。
ですが、残念ながら私は素人故に御返答に困っておりました。
私からは参考となる茶道誌「淡交」での記事を御紹介出来る迄で、
申し訳なく思っております。

文中では新美昌道師より御道具の取り合わせについて、
さらに山庵との想い出に関してふれておられます。
ご活用頂けましたら幸甚です


「淡交」平成23年12月号
 (第65巻.第12号.通巻811号.淡交社)

特別読物「禅堂の茶-師走の趣向で-」
牛嶋山福巌寺二十五世 新美昌道 師

濃茶席
釜   天猫 山水地紋繰口
炉縁  福巌寺本堂古材 治兵衛造
棚   鵬雲斎大宗匠好 行雲
水指  鉄鉢 道元禅師盂鉢写 梅田信隆禅師箱
茶入  瀬戸椿手 銘壽雲 鵬雲斎大宗匠箱
薄器  黒大棗 不昧公在判 江川辰三禅師銘三心の内 一 閑道
茶杓  坐忘斎家元作 銘拄杖子
茶碗  赤 銘赤龍 六閑斎・一燈・板橋興宗禅師箱 道入作
替茶碗 黒 銘霊山 山田山庵造
蓋置  竹 圓能斎在判箱
建水  十代浄益造






# by otenkidaifuku | 2017-07-04 04:25 | | Comments(1)

山田山庵 に関して

匿名希望様をはじめ、山田山庵に関する御質問を頂き有難う御座います。

このように反響があることを心より嬉しく思っております。コメント欄に書き込ませて頂こうかと思っておりましたが、複数の方へ短文でお応えするよりは投稿欄の方が適しているかと思い書き込ませて頂きました。

市場価値に関して、
私は業者ではなく素人であるため、何とも申し上げられません。そもそも市場に出ている事が本当に稀なのです。まして物故の造り手による作品は、一度個人の蔵するところとなりますと、市場に再び現れることは殆どありません。一般的陶芸家さんのように作品等に関する資料が少なく、私の知る限り、現在は業者さんの仕入れ等から提示した値と、それを納得した客との遣り取りで納まる、手探りの特殊な状況だと思います...

これでは御応えにならないかと思います。以下は、書くほどに私の気持ちから離れ残念ですが、個人的意見として述べさせて頂きたいと思います。まことに身勝手な内容かと思いますが、どうか御許し下さい。

山田山庵のように
一般には知られていない造り手の作品が取引されるのは、需要と供給の関係だけではなく、既成概念にとらわれない、数寄者や芯から好きな方々に良き理解者がおられるためのようです。宗達と光悦に始まる琳派は、家系ではなく私淑による断続的な"継承"となり国や時代を超えて影響を与え続け、現代においても多くの賞賛を得ています。山庵自身も実業家という重責を果たしながら光悦へ私淑し、土を介して対自していたようです。この余技を超え生み出された作品がもつ自由な心意気は数寄者の枠を超えて、多くの人を惹きつけてやみません。多難な時を経た現代においても山庵の茶碗が求められるようになったのは"世間の常識"に囚われることなく愚直に徹した姿が共感を誘うのかも知れません。これ迄、私が山庵の茶碗を所蔵されている方にお会いしたところ、茶道関係者に限らず、その全てが目利きとして知られる方でした。しかし所蔵されている方でさえ断片的に山庵を知る状況に驚かされます。むしろ山庵をよく知らずとも、偶然の縁があり1点納まっている場合が多いようです。ある方は山庵の茶碗と出会い、付けられていた値に驚きつつも、その魅力が見捨てがたく座辺にて使われておられました。かの松永耳庵も老欅荘では山庵の茶碗を座辺に、茶を楽しんでいたといわれています。作品集には耳庵による寄稿文や合作、書付などが載せられており、その深い交流が偲ばれます。しかし、それほどの存在でありながら広く知られていないのは何故なのでしょうか。

その理由として山田山庵は
陶芸家ではなく数寄者であったため、これまで現代陶芸コレクターさん達や一般に知られる機会が少なかった状況があるかも知れません。(Web情報においても山庵に関しては少なく、私が拙ブログへ書かせて頂く切掛となっております。)さらに日々手すさびに興じていたにも関わらず、世に出される数が極端に少ない事や、生前に販売されなかったために、市場へ流通する事が殆どなかった状況もあるかと思います。極稀に山庵と直接ご縁のあった方が所蔵されている場合があります。これは山庵の思いとともに、作品を大切に使いこなす事ができる人物の所望に応じ贈られたようです。このように作品を受け継いでおられる方の中には、茶道具として使われておられ、それらの道具をあえて一般に公開する機会が少ない事も理由のひとつかと思います。私の知る狭い範囲から予想することですが、作品群は、おそらく散逸し個人蔵として多くとも数点納まっているような状態で、まとまって数を集め、回顧展を行うことは困難かと思われます。勿論、私の知らない所でまとまって残っていることは十分考えられることだと思います。しかし、この様な状況下においても数少ない山庵の茶碗に出会った方、松永耳庵翁、田山方南氏、堀口捨己氏、小山冨士夫氏や林屋晴三氏をはじめ数々の著名人に纏わる話や興味深い記述が残っています。偶然これらを見聞きした好事家の中には、一度掌で観てみたい使ってみたいと記憶の片隅に名が残り、長く気にされておられた方もみえましたが、未だ叶わずといった状況にあるようです。

数寄者として
山庵が所蔵していたといわれる光悦"くいちがゐ"をはじめ、所持していた御道具は、美術館級の格調高い品から玄人好みの洒脱かつ粋な物まで、流儀にとらわれない広い鑑識眼が偲ばれます("日本美術工芸 愛蔵辯あり"というコラムに残っています)。そのような世界に興じた数寄者の"手すさび"は、とても厳しい物であったようです。森川如春庵という数寄者は気に入らない自分の作品を陶片として残ることすら嫌い、粉々に打ち砕いたとさえいわれています。山庵にもそのような厳しさがあったと想像されます。また現代においても本阿弥光悦へ私淑する方は多く、己に厳しく人知れず光悦を理解せんとした山庵の姿は、茶碗における琳派とはいえなくとも、身近に感じ1つは手元で楽しみたいと思わせるのかも知れません。茶碗を造ることによる富と名声を求めず、苦しみではなく楽しみ、愚徹に精進する姿勢から生まれる作品は、近現代の陶芸史においても異端の存在に挙げられると思います。古くから知る人ぞ知る山庵の茶碗は、個人的な楽しみだけでなく、同好の方へお出しする際の話題作りとして良い道具といえるかも知れません。この"知る人ぞ知る"存在である事で、私でもまだ手に入れる機会があり、山庵の名が知られてゆく事をよく思われない方もみえるかと思います。しかし、いま世代交代の時代において思わぬところから流出することがあり、次世代へ大切に受け継がれてゆく事を願ってやみません。

山庵自身も
訪ねて来た客に自作の茶碗で気軽にもてなす事があったようで("愛蔵辯あり"より)使うほどに魅力が増していく事も特徴です。"使う"ことには様々な考えがあるかと思いますが、実際に年を重ねて使い込まれ傷を繕われた赤楽碗を拝見した際、その圧倒的存在感に唖然としました。その茶碗は残念ながら既に売約となっておりましたが、山庵を知らない方も興味津々でという嬉しい光景でした。山庵自身も窯傷、割れを蒔絵で繕い、また理解ある方が繕われた傷は景色となり、茶碗における琳派の系譜を受け継いでいるとは言い過ぎかもしれませんが、時と窯の幸に恵まれた作品は不思議な魅力で溢れています。

赤茶碗と黒茶碗に関して
華やかで雅味ある赤に人気があるようですが、拙ブログにて苫屋様が仰られていたように黒茶碗に出会える機会は少なく、赤と比べると数が少ないようです。山庵自身も黒は難しいと言っていたと伝え聞いております。これは高火度焼成などの技術的な事だけではなく、百に1つ残すかどうか、という山庵の姿勢において黒は非常に希少で、かつ吟味された内容の深い作品が多いようです。また赤と黒の楽茶碗だけでなく、白楽、他に高麗、志野や唐津といった轆轤を使った作品群もあり、派手さを抑えた山庵なりの解釈が織り込まれています。楽茶碗には、光悦のように強烈な個性を放つ作品がある一方で、大人しく落ち着き端正な作品があります。あまり我の強い茶碗は取り合わせをしにくい場合があり、あえて無垢な茶碗を用いることで他の道具を引き立て亭主とも調和します。このような作品は、高麗茶碗など深い精神性を追求した1970年代以降の作品に多くみられ、渋く味わい深い作品となっています。かつて山庵が席主を務めた茶会では"数茶碗"ではなく、自らの手による茶碗で供された事があり、正客様だけでなく連客の皆様にも一期一会の一興を楽しんで頂きたいとの亭主の気持ちが込められていたようです。このように間合いや作品に幅を持たせているところも異端といえるかもしれません。山庵の作品は、元来茶人の手による道具として造られていますので、時季、志向設え等、様々な要素を念頭において造詣を施していた様です。赤と黒というカテゴリだけでなく、多彩な作品の中より、どのようなタイプを選ばれるかは、求められる方の眼と好みに加えて目的や用途を合わせて選択されると良いと思います。

また山庵作品の殆どが茶碗です。
本人も自分の作品を使い込み、批判を求め試行錯誤を続けていたようです。数限りなく造り続けた故に焼きと釉調は当然のことながら、掌に落ち着く重さから軽妙なもの重厚なもの、大きさ深さ、口造りから高台細部に至るまで変幻自在に遊んでいます。さらに、その中から選び抜かれ残った作品は、当然1つとして同じものはなく、写真や姿、表面的に観るだけでは、その面白みは味わい尽くせていないと思います。山庵は都会の喧騒に身をおきながら、裏磐梯の自然へ思いを馳せ作陶に没頭したと聞いております。特殊な場合を除き、多くが山庵により銘を書付ています。その銘を紐解き時季を模索しつつ日々用いることで、一層魅力が増し奥床しい存在となります。このように、使うことを前提とされているため、使ってみると見た目では分からない茶碗ならではの楽しさが沢山散りばめられ、隠れているのも魅力の1つかと思います。茶道具として使い込まれ重ねられた歳月は、茶碗の内面から醸しだされる独特の風情となり、季節と共に頂く至福の一服は誰もが歓喜される事でしょう。もし幸運にも、あなたが山庵の茶碗を手に入れたとするならば、まだ今は生まれたての赤子のような存在かも知れません。そそいだ愛情の分だけ育まれた成長は、その事実が伝来となり、次世代へ受け継がれてゆくことでしょう。よって安易に出来不出来を判断し、値を評価する事は非常に困難かと思われます。それらをどの様に感じ楽しむかは、受け手側の感性でも有り、これは座辺で楽しまれる方の特権です。

山田山庵の次第について
このような事は、わかる方にのみ気づく楽しみの一つともいえますが、伝え残すことも大切な時代となりましたので、余計な事と思いつつ書き添えさせて頂きます。山庵の作品には、自らが設えた箱が添えられています。共箱は茶の湯指物師で桐材の名手として誉れ高い中台瑞真の手によります。このように茶碗だけでなく「次第」の細部に至るまで心を尽くし、同好の手に渡り末永く楽しんでいただけるよう、己の作品へ手向けた名残の気持ちが伝わってきます。

御質問にありましたが、
傷は窯傷であったり、意図的である場合があり、(後で判る事が多いのですが)繕いは山庵が送り出す時点で施されていることがあるようです。傷があるということで、お値打ちに求める事が出来るかもしれません。私は偶然にも良い御道具屋さん、業者さん、それから同志と山庵を通じての御縁に恵まれ、感謝致しております。皆様にも良き御縁があることを心より御祈り致しております


参考文献:
・現代の名碗 黒田陶々庵著 1968
・茶碗と私 小森松菴, 田山方南, 黒田陶々菴 1968
・現代の陶芸 第7巻 1976(講談社)
・現代日本の陶芸 第10巻「現代の茶陶」1983(講談社)
・私家版 『自選 楽茶碗』ほか


中台瑞真(真三郎):
NAKADAI ZUISHIN 1912-2002 
重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)。
大正元年8月8日千葉県出身。
14歳で竹内不山(茶の湯指物師)に師事。
桐材の光沢を生かした刳物にすぐれ,日本工芸会木竹工部会長。
昭和59年木工芸で3番目となる人間国宝に認定。




物数を究めて、
工夫を尽して後、
花の失せぬ所をば知るべし。
       「風姿花伝」
  
   
   


# by otenkidaifuku | 2014-07-11 22:38 | | Comments(12)